今年2度目の岡林信康in八王子。
八王子の街は大学の時以来足だから、実に10年ぶりくらいだ。この街にも色々な想い出がある。前回の岡林のライブが行われた立川の街も、予備校時代の想い出がある街で、そんな話しをしていたら「結局中央線沿線なんだよ」と終演後居酒屋でビールを飲みながら連れに言われた。
そうか、中央線沿線の街は好きで嫌いで色々な残像がこびりついているからもううんざりしている気持ちもあるのだけれど、結局その地に立つと色々なことがブワーっと過ぎる。もう忘れちゃっていることや思い出すのも恥ずかしい事もあるんだけれどそれはそれでそんなに嫌じゃないという事にこの時気付いた。
コンサートの楽しさはライブは勿論、終わったあとに居酒屋でビールを飲みながらつまみを食うことにあると思う。ステージに立っている人は勿論、見ている方も本気で見ているので、終わった後には、なんだかほっとしたようななんともいえない開放感がある。だから飲みたくなる。好きで見に行っているのに、終わってほっとするという事は変な話だけれど、それだけ真剣に見て聞いているのだと思う。
岡林さんはかつてのギラギラしたものをうまく消化して今はキラキラしていると思う。そうでなければあの様な艶やかな声を手に入れることは出来ない。自身のスタイルの変化の過程において、実は歌も高度に変化していたのだ。70年代、岡林信康を続ける事は寂しさとしんどさの連続だったと思う。だけど色々な年のとり方があるけれど、人間臭さや面白さと根底に流れる明るさだけは決して失わずに今に至っている。今の時代人間臭く生きる事ほど難しいことはないと思うけれど。
そしてそんな時代にipodで爆音で岡林を聞く僕はいったいなんなのだろうと思う。ただ一つ言えることは流れている音楽は本物だという事だ。どこにも連れて行っちゃくれないけれど。どこにも連れて行ってくれなくていい。行きたければ自分で歩いて行くから。
確かに岡林さんはその時々で端から見ると極端に見えるくらいに音楽スタイルを変えてきますね。
だけどその過程には計り知れない位の迷い、戸惑いを通過しているということが良くわかります。
だからこそ土着性、人間臭さを今もって失わないんかなーって。