年々南正人の回帰線が信じられないくらい好きになっていく自分がいる。この当時のソロアーティストの作品ではTOP3に入る位好きだ。どうしようもない優しさにまみれたこのアシッドロックにはいつもいつも痺れてしまう。痺れちまう。
南正人が青い夜に刻んだ爪痕が痛い。その感情に胸が軋むし、こびり付いた青い面影に胸が軋む。愛情の裏側に見える別れや、滑稽なほどに馬鹿正直な男と女の姿に胸が軋む。音楽で胸が軋むのはこの人の作品からだけだ。
それでもやっぱり遠い明日を目指している。空の青さに優しさを求めている。そんな綺麗な地球で生きている。だからこの作品はどこまでも綺麗だ。綺麗過ぎて目や耳や心が痛い。痛ぇ。
南正人以外、『悲しみ忘れた悲しさ』なんて事歌える人はいない。そして今日もみんなそれぞれの夜をくぐりぬけて行く。夜は短い。
Tommyさんの日記を読んでびっくり。
なんとハイドパーク・ミュージック・フェスティバル、今年は中止だそうです・・・・。
詳しくは下記より
ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2007開催中止のお知らせ
「2006」で生じた負債や「2007」開催のための資金繰りがどうしてもつかないとの事。本当に心苦しい開催中止だったと思います。
僕はハイドパークは毎年仕事(物販)でした。なので純粋にあのフェスを楽しんだ事ないんです。酔っ払うことも出来ないし。あの緑の中で木陰を見つけてビール飲みながら今年こそ仕事ではなく、きちんと楽しもうと決めた矢先。カレー食べて、プルコギ食べて、アイスコーヒー飲んで、色々な人に会って・・・。
なんといっても会場の運営面が改善されて行って、年々良い雰囲気になっていたので本当に残念。朝早く起きて、稲荷山公園駅についてコンビニ「ポプラ」で飲み物買って、おにぎり食べて、「今日の天気はどーっすかねー」ってのんびりとリハの音を聞きながら送った夏の日の終わりは、今年はやってこないのか。
細野晴臣、小坂忠、鈴木茂、遠藤賢司、フォーク・クルセダーズ、ハーフ・ムーンライダーズ、ブレッド&バター、オレンジ・カウンティ・ブラザーズ・・・。
まだ夏は始まったばっかりだけど、みんなどうやって夏を終えますか?エンドレスサマー?ハイドパークに代わるフェス、何かやりますか?
キコリフェス2007!!
MR5000番台第2弾+2(プラス・ツー)。レヴュー第8回目は現在も地元名古屋で活躍するシンガー・ソングライターの江口晶が1975年にリリースしたファースト・アルバム世代感覚です。
エンピツで描かれた強烈なジャケット。一度見たら目に焼きつく。SSW?アシッドフォーク?ハードロック?プログレ?カントリー?ジャケットとアーティストとタイトルから音を想像するのはいつもいつも楽しい。そしてCDをセットして流れ出すのが、意表をついたニューオリンズ風のピアノでコロコロと転がり、こちらの期待を見事に裏切ってくれるのもまたいい。
窓、風、夢、テーブル、愛、嘘、部屋、アンタ、ラッシュアワー、ウトウト、まちぼうけ、オレンジ色の朝、アスファルト、煙草、電信柱、戸口、電車の中、明日になれば君のこと・・・。
江口晶がアルバムの中に散りばめた世界は32年前となんら変わることも無くここに居る。当たり前のことだけど居てよかった。そして僕達が住んでいる今の世の中は、32年間で大きく様変わりしてしまった。だけど、太陽が昇って沈んで、雨が降って天気の行方を気にしたり、笑ったり、怒ったり、人を好きになったり、日常でふっと感じる事は根本的には変わっていないなーと思った。そうするとすごく今の世の中が健全に見えてきたから不思議だ。
今回の再発にあたって江口さんからメールで「あの頃の江口晶と出会い直しているような気分で楽しませてもらっています」といったような内容のご連絡を頂いた。いえいえ、楽しませてもらって、今の世の中が素敵に見えたのは僕のほうです。江口さんが当時も今も思っている事と同じように僕も毎日の生活でいろいろなことを感じて眠り、起きて、毎日をすごしています。こちらこそ有難うございました。
川崎燎の恋はフェニックス/イージー・リスニング・ジャズ・ギター。6/27発売のNAKED LINEシリーズの中からの1枚。今回は和ジャズにスポットを当てた、5枚が同時リリース。
→NAKED KINE シリーズ
川崎燎といえば、ジャズとラテンを融合させたかのようなサウンドのMirror of My Mindがレアグルーヴマニアを虜にした作品として有名だが、今回リリースされた恋はフェニックス/イージー・リスニング・ジャズ・ギターは川崎燎が1970年にリリースした記念すべきファーストアルバム。
華麗に流れ出すギター。リズムは優しくあくまでもジャズを基本としたタイトな演奏ながら、その聴きやすさ(イージーリスニング)っぷりがどこまでも心地よい。バート・バカラック、ビートルズ、ママス・アンド・パパスなどのカバー、プラス自作曲2曲。
ストリングス、アレンジ、ギタープレイ。単に軽いわけではなく、雰囲気に重点を置いているから、どこかで聴いたことのある、あのフレーズがすっと耳に飛び込んでくる。
毎日の生活の中で、場所と気分を選ばない音楽があってもいいと思う。飛び込んだ喫茶店で、待ち合わせの場所で、駅のホームで、ホテルのラウンジで、中華屋で、家で読書しながら、風呂上りにぼんやりと・・・。押し付けがましくなく、淡々と流れる音楽。しかしその音の裏側にはイージー・リスニング・ジャズに対する熱い想いが溢れかえっている。川崎燎はここで他の誰かになろうとしているわけでは決して無く、あくまでも自分自身になろうとしているのだ。自分は自分にしかなれない。だからこそとても自由な空間がここには広がっている。
アーティストも作品もクールなようでいて、実は熱い。そしてスマート。
いつしかこちらの気持ちも自然と微睡んでしまうようだ。
7/9発売予定だった細野晴臣トリビュート・アルバム7インチBOX。残念ながら7/9発売から10/17発売と3ヶ月以上発売が遅れます。
しかし今日、このアナログBOXの画像が届きました。
BOXジャケットはこんな感じ。
BOX商品見本はこんな感じ
BOX中面はなんだかかわいい。
CDとは異なるアートワーク、ブック型パッケージで開けて楽しく、さらにイラストが多数ちりばめられているようなので、CDを既に持っている人も要注目。
気になるボーナス曲はDISC12のA面に収録されている小平市立上宿小学校 音楽委員会・音楽クラブによる「風の谷のナウシカ」。B面は盤面にイラストが彫られているそう。
僕は最近気づくとよくクチロロの北京ダックのカバーを口ずさんでいる。「よこーはまー、ひかるーまちー、あーめがふるー、まーるーでー」。北京ダックをカバーするにあたって合唱してしまうという発想はとても面白いと思った。スピーカーから流れるとやっぱりいっしょに合唱の輪に加わってしまいます。
あとやっぱりなんと言ってもヴァン・ダイク・パークスの「イエロー・マジック・カーニバル」。このどこまでもポップであっけらかんとした恐ろしく能天気な激唱の裏に隠れるヴァンダイクのすれすれの狂気。ポップと狂気は紙一重。聴くたびにゾクゾクします。そしてやっぱりこの人は狂っていると思う。どこまでも上がってどこまでも落ちていくような癖になる感覚を音楽で表現してしまったのだから。
細野晴臣トリビュート・アルバム7インチBOX。45回転でターンテーブル上でくるくる回れば、また違った景色が流れそうです。
MR5000番台第2弾+2(プラス・ツー)。レヴュー第7回目は岸部兄弟による唯一のアルバムサリー&シロー/トラ70619です。
1970年にリリースされた本作。ヒッピーが文化として日本に定着し、ラブとピースと反戦と自由が同時に語られる。このあたりは当時の時代背景を大きく反映させた内容になっている。
しかし1曲目「自由の哲学」なんて毎日毎日寝て暮らせる方法はないのかというシローのノンキな出だしからいつの間にかサリーとシローの2人による大阪弁での漫談みたいになっていくし、2曲目「花咲く星」では花で平和を作ることを夢見るボーカルが優しい素敵なフォーク・ロックになる。かと思えば3曲目「YS-11」ではフラワーズの小林勝彦らしいハードでぶっ飛んだガレージサイケ風インスト。
ドラッグ、愛、セックス、平和、自然、自由。
若く、健康な体で生きていく過程において興味をそそられ、考えさせられる事柄がアルバム全体に散りばめられているが、このアルバムからは自由に関しての結論はいつまでたっても出てこない。というか最初から結論なんて出るわけないときっとサリーもシローも知っていたんだと思う。どこかやけっぱちに演じている二人。「今まで散々自由を搾取された身でそんなもんわかるかいなー」とでも言いたげ。だからこそこのアルバムはどこまでも奇妙で可笑しくふてぶてしいかっこよさがあるのかな。蛇腹式ポスター仕様も含めてトータルで怪盤。花に埋もれたサリーとシロー。素敵過ぎる。
結局二人の真意はラストから2曲目のかまやつひろしによる「どうにかなるさ」にすべて集約されているような気がする。
おいらはひとりでどうにかなるさ。
当時の共同幻想とは全く反対の孤独な影に身を埋めている。孤独であるということは、一方でどこまでも自由であることなのかもしれない。
本日発売の村井邦彦の世界。
CD5枚組のこのBOX、この企画。いつか実現されることを首を長くして待っていた方も多いと思います。
GS〜歌謡曲から赤い鳥、荒井由実、小坂忠、ガロ、ティン・パン・アレー、そしてYMOまで。
ずっと60年代から音楽業界の第一線で作曲家、プロデューサーとして走り続ける仕掛け人。YMOでは世界進出までしてしまうし、一時期A&Mの販売権を獲得したり、内外から常に新しい試みを実行に移し、日本に音楽を根付かせてきた。
きっと村井邦彦さんが実行した試みの一部は現代の日本に溢れかえる音楽と、それを自由に選択することが出来る音楽環境へと繋がっていると思う。全く押し付けがましくなく、スタイリッシュでさりげない村井さんの残した楽曲と、その試みの多くはどこかで繋がっているような気がする。
近年ではジャパニーズ・ソフト・ロックの観点からも大いに語られ、いつまでたっても色褪せない心地よいサウンドはいたるところから聴こえてくる。
そしてこのどこかシリアスで楽天的な氏の人柄からは、自分が楽しんでやっていたらいつの間にかそれらが積み重なっていたとでも言わんばかりのなんともいえない良い笑顔なのがうれしい。
このBOXからは音楽は勿論、村井邦彦が楽しみながら、そして行き詰まったらアイディアをひねり出しながら駆け抜けた時代を感じたい。いろいろなところにヒントが転がっているBOXとして大切に聴かれて欲しいと思う。
大好評発売中のMR5000番台第2弾+2(プラス・ツー)。レヴュー第6回目は深町純/HELLO! 深町純2です。深町純の最後のボーカルアルバムで待望の初CD化作品。ジャケットの窓の部分がくりぬかれた特殊仕様となっています。
僕はよく中古レコード屋に通っていますが、このLPは今まで一度も見たことが無かった。ただ前作のある若者の肖像が余りにも素晴らしく、深町純の最後の歌モノ作品である本作は聴きたくてしょうがなかった1枚です。
憂いを帯びたファースト。モノトーンの世界からちらっと覗いたナイーヴなある若者の肖像は、みんなの歌を唄いたいという素敵な希望に満ち溢れていた。そしてセカンドでは自身の内面の世界から抜け出して、別の角度から若者の日常やあふれ出る夢を語りだしていた。それも、これ本当に35年も前の録音なの?って疑いたくなるくらい、洗練された楽曲、構成でもって。ジャジーでロックでグルーヴィー。フォークが主流でフォークのようなメッセージ性が求められていた時代に別のフォーマットで滑らかに語りだされた深町純の夢。音楽をトータルで見て、聴いて、語られる内容は手探りだった前作とは別の、自信に満ちた顔を見せている。それはセールスとは関係なく嘘のないありのままの自分を表現する事が出来たことから来る自信だったのか。
これを最後に深町純は歌うことを止めてしまった。現在まで深町純の歌モノ最新アルバムはこの1972年にリリースされた本作が最新のままだ。封印されていた世界は35年ぶりに解かれた。そして2007年にこのアルバムがリリースされたということは、やっと時代が追いついたような気がしてならない。
ジャックス〜ソロと活動を続け、唄うことを止めた早川義夫さんは当時URCのディレクターをやっていた。
そんな早川義夫さんに自分の歌を聞いてもらいたくて、デビュー前のあがた森魚は友達2人と早川さんの所に訪れ、目の前でギターを弾き語った。
牛乳瓶の底のようなド近眼のめがねをかけて、何度ギターを弾いても途中でどもり、つっかかる。つっかかるばっかりで先に進まない。
見るに見かねた友達が「今日はやめておこうか?」と優しくなだめる。だけどあがた森魚はやめない。緊張の真っ只中、憧れていた早川義夫の目の前で何とか自分の事を表現したくて、必死にトライする。それを目の当たりにした早川さん。こんなにぼろぼろでヨレヨレでかっこう悪くて、だけど必死に震えながら全部裸でたった一人のひとの前で歌を唄う。
その姿はひたすら無垢で美しかったことだろう。表現することとはこういうことなのか。
蓄音盤。鈴木慶一、渡辺勝、細野晴臣らが参加したあがた森魚が当時自主制作盤でリリースしたレアトラックス。
ここに収められた全8曲。1970年、22才のあがた森魚。表現する、歌を唄う。そのことだけを念頭に必死に歌い、わめき、泣いているような揺れる声。きっと泣いていた。
この佇まいをなんと表現したらいいのか。早川義夫さんのためだけにギターはつっかかり、どもり、緊張で震えていたあがた森魚のその尽きることのない激情は、ここで不特定多数のリスナーを捕らえた。なんということだ。
自分がこう在りたい、こう生きたいと強く願った気持ちはいつの間にかぐんぐん走り出す。
それからわずか2年後、ベルウッドからリリースした「赤色エレジー」で50万枚以上のセールスを記録し、あがた森魚の名は一躍全国に広がった。気持ちが決してヨレなかった。かっこいい。
だけどまさにかっこいいということはなんてかっこ悪いんだろうを地で行った人だと思った。
浅川マキも大切に唄っている南正人の名曲「あたしのブギウギ」。先月よりお取り扱いを開始した南正人の最新アルバム風来坊の唄にはタイでのライヴの模様が収められていて、これがめちゃくちゃいい。
「あたしのブギウギ」で唄われているような女心は男にとっての永遠のテーマであるが、南正人の女心を捉える視線はものすごく深く優しいと思う。この優しさはどこから出てくるのか?南正人は社会からはみ出した心優しい淋しい男と女を一体どれだけ見てきたのだろうか。そして男と女の隙間に転がっている二つの気持ちを自分の気持ちと重ね合せて唄ってしまうことができる。きっとそれは若い頃たくさんの悪さをして捕まり、自分に絶望し、家族を失い、仕事を無くし、それでも風来坊で生きていくことしか出来なかった南正人の気持ちがそうさせるのだろう。そういう風通しの悪い生活の中で出会った社会からはみ出してしまった心優しい人間達。彼等に向けるまなざしは、同じく社会からはみ出し、それでも生きて唄っていく事しか出来ない南正人にそのまま向けられているような気がする。
まっとうに生きることが出来てしまう人間と、はみ出してしまう人間がいる。だけどはみ出してしまった、はみ出さざるを得なかった人間の心の痛みはきっと南正人自身が一番わかっているのだと思う。
昨年ライブで初めて南正人さんを見た。ガットギターを抱え、ポロポロと爪弾く。歌がこぼれだす。声、歌い方、その全てがものすごく上手で驚いた。そして実際もこのジャケットのままの風体で身体は大きい。きっと渋谷なんかの人がめちゃくちゃ多い場所で遠く離れた所から歩いてきても南さんは簡単に見つけることが出来るだろうなと思った。それほど強烈なインパクト。普通の人にはないものもたくさん抱えて生きてきたのだと思った。
6/15にP-VINEよりTHE BEST OF 幻の名盤解放歌集として各レコード会社別に区分けされて再発されていた従来のスタイルを打ち壊し、今回から名曲の数々が各社入り乱れての盤内バトルとでも言うべき濃すぎるスタイルでの解放がスタート。
6/15発売 解放第1弾 各\2,625(税込)
・オムニバス/「王道」もうがまんできない
・オムニバス/「王道」でも、やるんだよ!
商業的成功とは皆無の音楽。しかし「すべての音楽はすべからずターンテーブル上(CDプレイヤー内)で平等に再生表現される権利を有する」というコンセプトの元掘り起こされた幻の名盤の数々。馬鹿らしかったり情けなかったりいやらしかったり逆に魂を揺さぶられたりする音楽。歌謡曲、フォーク、ロック、演歌etc・・・。曲の表面をなぞるだけでは決して感じることが出来ないやるせない毒にまみれた昭和の歌の数々。どんな想いで歌を歌ったのか?売れると本気で思ったのか?誰に対しての叫びなのか?歌だけでなく歌の過程にまで想像を膨らませることが出来る歌ども。さあどうやって聴こうかな。
ディスクユニオン限定特典として6/15発売の上記対象商品2タイトルからお買い上げ1点に付き対1特典でDJ鶯(湯浅某)によるスペシャルMIX CDR「解混」を差し上げます。特典の数には限りがございますので、是非お早めにお買い求めください。
実は僕は最近までずっとDJ鶯(ウグイス)を鳶(トビ)だと思っていました。湯浅さんの家に行ったとき「DJ鳶(トビ)のミックス最高でした」と言ったら「鶯(ウグイス)だよ!」って返された。それが原因かどうかわからないけど、今回の特典CDRにはしっかりとDJ鶯(うぐいす)とルビがふられていた・・・・。今回も鳶、もとい鶯のミックスは冴え渡ってる!かっこよく情けない。
昨年のハイドパーク・ミュージック・フェスティバルの会場で販売されていたNiagara & Wrangler スペシャルBOXのお取り扱いを開始しました。
会場で買い逃した方、今がチャンスです。10ヶ月くらい経過してしまいましたが、\3,675(税込)というスペシャル価格で販売中。ディスクユニオン各店及び通販でお買い求めいただけます。
もうそろそろ今年のハイドパークの日程や出演者なんかが発表になるのでしょうか?毎年6月ごろに発表されていたような気がするのですが。
2005年は雨に打たれ、その後に登場した細野さんに救われ、2006年はぎりぎり雨が降らないで、何とか天候を保ったまま過ぎていきました。エンケンさんの時、雷が遠くでバリバリと落ちていたのが印象的だった。雨降らなくて良かった。
僕は2年連続で物販スタッフとして会場に居たので、実はまだ本当にハイドパークを楽しんだ事がありません。今年はどうなる事やら。
去年の狭山からの帰りは所沢から国分寺、国分寺から吉祥寺に戻ってきた。恋ヶ窪という駅名が印象的だった。疲れたけれど、終わったという開放感とハイドパーク帰りの笑顔がそこにあったから、帰りの電車がすっごく楽しかったのを覚えている。そこから吉祥寺で深夜0時頃スパゲティを食べて、ビールを飲んで、家に帰り、シャワーで生き返り、音楽を少し聴いて寝た。
ここのところ実は洋楽ばっかり聴いていたりすることもあったけど、やっとここに来てまた日本語ロック、フォークを聴いたりしている。
言葉がダイレクトに耳に入ってきて、イメージを喚起させる歌や歌詞がきついと感じる時は勿論ある。友部正人の「一本道」や、加川良の「精一杯」や、岡林信康の「今日をこえて」なんかを聴くと、胸が痛くなる。ましてや土曜日とか日曜日に阿佐ヶ谷の駅に降り立ったときに、ipodで聴いたりすると一人じゃいられない気持ちになったりする。ずーーっと聴いてきた音楽が今まで味わったことのない景色を運んでくる変化に出会う。。そしてやっとこれらの歌の意味がわかったような気がする。
さて、ディランにて。西岡恭蔵のファーストアルバムで、今までも何度もここで触れてきたアルバムだが、6/22にベルウッド35周年記念復刻第2弾の中の1枚として装いも新たに、オリジナルの質感を損なわない紙ジャケット仕様での復刻です。
ギター、ベース、ドラムそして一部エンジニアの吉野金次氏のピアノというシンプルな編成で大阪の喫茶「ディラン」界隈での生活をそのまま唄っている。生活が根付いた場所から、生活を唄う。それだけのフォークロックアルバムだ。だけど生活から逃れることなく、そして逃れることが出来ない若者たちが唄われているからこそ、僕はこのアルバムが好きだ。自分自身がきちんと腹を括ってそこにいる。じたばたしていない。そこからきちんと希望を見つけ、愛を唄う。そしてやっぱりここに収録されている12曲全てが楽しくて哀しい。そして悔しさは皆無だ。悔しさを伴ったアルバムだったらきっと僕はこのアルバムが好きではなかったと思う。それが無いからこそここから漂ってくる健全で健康な匂いが心地よいのだと思う。
いよいよ明日6/9(土)に、5/25発売のベルウッド35周年紙ジャケコレクション第1弾「高田渡コレクション」の発売を記念して、タンポポ団とは切っても切れない地、「吉祥寺」のディスクユニオンでシバさんと村瀬雅美さんのフリー・インストア・ライヴ&サイン会が開催されます。
当初シバさんと村瀬さん2人だけのイベントを予定していましたが、ここに来て急遽総勢6,7人のジャグ・バンド・スタイルでの演奏も行う事が決定しました。即席タンポポ団が見られます。
武蔵野タンポポ団。メンバー一人一人がプレイヤーでシンガーでソングライター。今思えばスーパーバンドでした。解散に至る経緯はもうひとつの伝説のライナーでシバさんが書いているので、そちらをご覧ください。とっても「らしい」解散でした。
僕は今年になって2度、西八王子でシバさんにお会いしました。1回目はリリースの許諾及びライナーの執筆依頼です。そして2度目は出来上がったCDをお渡しに伺いました。出来上がったCDを見て本当にうれしそうに、当時のタンポポ団の話、そして高田渡さんの話をたくさんしてくれました。そこでぽつりと「もう渡いないんだよなー」とシバさんが漏らされた言葉が今でも僕の胸に突き刺さっています。
本当に奇遇な出会い。偶然と偶然がぶつかって、まるで神様が仕組んだかのような京都での運命的出会い。そこからずっと良いときも悪いときも常にとなりにいた人が突然居なくなってしまうということ。
そしてやっぱり死ぬということは自己完結だと思います。だから残された人たちはいつだって心にその人の面影を背負って、死を受け入れて、胸の中にたくさんの想いでを溜め込んで、強く生きていくのだと思います。
僕はこのような仕事を通して、自分の父親と同じ位の年齢のアーティストとたくさん出会って、お話できて本当にうれしい気持ちでいっぱいです。
だけどやっぱり高田渡さんにもう会えないということは僕もとってもさびしいです。
いよいよ明日6/8(金)発売のMR5000番台第2弾+2(プラス・ツー)。レヴュー第5回目は深町純/ある若者の肖像です。
フォークでも歌謡曲でもロックでもなく、どこにも属すことの出来ない孤高のアルバム。自身が大学で学んだクラシックの要素から発展してシャンソン〜ジャズ・・・・。そこからいつの間にかシンガー・ソングライターとしての側面を見せ始める。まだシンガー・ソングライターなんていう言葉が定着する前の話だ。ギターを持って歌うスタイルがフォークならば、ピアノで弾き語るのがシンガー・ソングライターなのか?とにかく「〜風」というカテゴリさえも超越してしまった、全く新しい自分達の歌を吹き込んだ作品であることには間違いない。
スタイルは自由。奇妙で美しく若者特有の屈折した部分をさらしながら、ここにはある若者の肖像が焼き付いている。
そして独自のスタイルを貫き通しているが、不思議と孤独な風が吹いてこないのは、深町純の今までになかった全く新しいみんなの歌を作るという信念だろう。ただの歌ではない、「みんなの歌」だ。レコードの制作の現場は孤独との戦いだったかもしれないが、その向こう側にはいつだってみんなの顔が見え隠れしていた。そういう気持ちで作られた作品だからこそ、いつまでも純粋で美しいレコードなのだろう。決して自分の殻に閉じこもっているわけではなく、そこから飛び出し人と人とを繋ぐことを夢見た、そしてどこまでも希望に満ちた深町純の衝撃のデビュー作。
エンケンさんが生ギターで生声で「不滅の男」を歌いながら渋谷AXを縦横無尽に駈け回り、幕を閉じた遠藤賢司リサイタル。そして当日販売した遠藤賢司実況録音大全[第一巻]1968-1976も色々なところから当日の販売のためにかき集めた全セットが売り切れ。これで再プレス分も全て終了です。本当に有難うございました。末永く聴いてください。
また当日細野さんや鈴木さんや林さんのCDをお買い上げ頂いた方、立ち寄ってくれた方、本当に有難うございました。こちらも末永く聴いてください。
終演後の物販時に「泰安洋行」のCDを買ってお友達にプレゼントすると言っていた女の子。携帯の待ち受け画像も「泰安洋行」。自分が大好きな音楽を大好きなお友達にプレゼント。こんな優しく素敵なプレゼントはありません。
お越し頂いた全ての方が「純音楽家」でした。
ありがとうございました。
さていよいよ本日渋谷AXにて遠藤賢司リサイタルが開催されます。そんなリサイタルにあわせたわけではないだろうと思いますが、遠藤賢司還暦記念シングル惚れた!惚れた!がいよいよ発売となります。
まっすぐなあの娘の姿が胸に突き刺さり、切なくうめく。痛烈なラブソング。自分の気持ちに曇りや陰りが何一つ無く、だからこそいてもたってもいられないくらいの胸の高鳴り。そしてそれらはいつしかエンケンの騒音ギターで撒き散らされトシのドラムとどこまでもがっぷりよつのまま絶頂へ向かっていく。真っ直ぐなこころに真っ直ぐな気持ちで返すエンケンの歌。これこそ今最も聴かれるべき人と人の姿を猛然と捉えた作品だと思う。人の気持ちや人のこころから逃げていては結局延々同じことを繰り返す。本気で相手にぶつかってこそ初めて自分のこころの暗さが晴れていくのに。だからこそ絶望を知っている人はここまで相手の気持ちにどこまでも優しく本気で応えることが出来るのだろう。
いよいよ明日に迫った遠藤賢司還暦記念リサイタル。渋谷の街が熱くなること必死のこの一大イベントに遠藤賢司実況録音大全【第一巻】1968〜1976の再プレス分を限定販売いたします。今回この会場で販売するもので、再プレス分も終了となります。まだお買い求めになっていない方は是非この機会に。勿論今回もディスクユニオンスペシャル特典付きで販売します。
明日の渋谷AXでのゲストは再三お伝えしたとおり細野晴臣、鈴木茂、林立夫!!!明日見なければ2度と見られないゲスト陣といったいどのようなライブを繰り広げるのか?たとえ共演時間が短いとしても、目撃者としてその場にいたいと強く思う。
いつもいつも激しく優しく吐き出されるエンケンさんの唄。人の心の痛みに自ら飛び込み、触れる事からその人の心の痛みを自分の痛みとして受け入れ、共に傷つき、生きてきた音楽家の姿は必見です。伊達に「純」の文字を振りかざしているわけじゃない。「純」はいつだって「純」なんだ。したたかで流されていく奴が勝っていく社会。「純」な人間にはとっても生き難い現代。でもだからこそ自分にだけは正直に、誰にもすがることなく自分自身を見つめることをから決して逃げ出さなかった。そして敢えて困難な道を選んだ男がいつもいつも僕の目の前にいた。
それは勇気だ。
そしていつだって男はつらいよ。
ベルウッド紙ジャケ復刻第3弾のランナップが決まり、本日よりご予約受付開始となりました。
7/28発売 ベルウッド35周年紙ジャケコレクション 第3弾
完全限定紙ジャケ仕様/2007年最新リマスタリング仕様
各¥2,300(税込)
・南正人/南正人 ファースト・アルバム(紙ジャケット)
・加川良/アウト・オブ・マインド(紙ジャケット)
・加川良 ウィズ 村上律/ALIVE(紙ジャケット)
・友川かずき/俺の裡で鳴り止まない詩(紙ジャケット)
・友川かずき/犬/秋田コンサート・ライヴ(紙ジャケット)
キャラメルママ(ティンパンアレー)が全面参加した南正人の名盤南正人/南正人 ファースト・アルバムが遂に紙ジャケ仕様で復刻です。
さらに加川良 ウィズ 村上律/ALIVEが待望の初CD化。80年代の厳しい時期にリリースされたこのハートウォームな名盤はまるで小さなライブハウスで繰り広げられる彼等のライブを目の前で体験しているかのような錯覚に陥るくらい近くて力強い。「アウト・オブ・マインド」「駒沢あたりで(現在廃盤)」などに収録された加川良の名曲の数々。村上律のスティールギターが被さる至ってシンプルな構成ながら、加川良のボーカルスタイルに独特の変化が垣間見られ、引き込まれていく。
1983年という冬の時代に、バブルに浮く世間を横目に、加川良は全く自分のスタイルを変えることなく敢えて貫いてみせた。逆境の時ほど自分を信じるしかないのだろう。加川良の解放感は恐ろしいくらい強く、優しく、切ない。