井筒監督作品『パッチギ』をおくらばせながら見ました。
1968年旧体制から新体制に乗り移ろうとしていた激動の時代の青春物語り。
在日朝鮮人の問題について、あまりにしらなすぎた僕は、この映画の主でもある「イムジン河」の意味をいまいち理解せず聴いていた。
この映画を見なければ、在日問題の事も「イムジン河」の意味も理解せず生きて行く事になっていたかも知れない。
知らなくても何不自由なく暮して生けただろうが、少しでも知れたという事は良かったと思う。
それに、単純に見てもこの映画はおもしろかった。
京都が舞台で朝鮮学校と公立高校の番長達との抗争が面白い。
この歳の時と言うのはなんというか、熱い有り余るパワーの行き場を何にぶつければ良いのかもわからず、あるものは喧嘩に、あるものは社会抗争に、あるものは音楽にと行き場を自分で模索しながら探し出し、魂を燃やす。
見ていて僕は鼻で笑っていながら、どこか羨ましさを感じている。
音楽を目指そうとした彼は、朝鮮学校で「イムジン河」を演奏していたキョンジャこと沢尻エリカ(マジ可愛い)に恋をして、
これを切っ掛けに「イムジン河」を知るのだけれど、
キョンジャに近付くにつれ、在日朝鮮人と自分との壁に直面していく。
キョンジャに近付く為に「イムジン河」を唄っていた彼は、
ある時朝鮮学校で知り合った友人の死、
その御葬式の時に在日朝鮮人との壁にぶちあたる。
そのときフォークギターを橋の上から投げ捨てるシーンがあるが、フォーク・クルセダ−ズ「悲しくてやりきれない」がながれる。
悲しくてやり切れない、このやるせないモヤモヤを。
彼は自分で買ったフォークギターを粉々に壊し橋の上から投げ捨てるのだ。
しかしその後で、以前知り合ったラジオ放送局の人にラジオの放送中にあの唄を唄ってくれと頼まれる。
そして放送禁止とされる「イムジン河」を唄う事となる。
この時彼は初めて「イムジン河」の曲を理解し、泣きながら唄う。
この彼の唄う「イムジン河」をバックに、クライマックスシーンへと向かうのだが、
ほんとうに涙が出そうになるシーンだった。
最後はエンドロールとともに、フォーク・クルセダ−ズ「あの素晴らしい愛をもう一度」がかかり、それぞれの見つけだした場所での一生懸命生きているシーンがながれて終わりとなる。
こんな僕の言葉では言い表せないほどの、素晴らしい映画でした。
井筒監督、テレビでは毒舌で冗談ばかりの飲んだくれおやじのようだけど、あなたは天才ですは。(←褒め言葉ですんで)
井筒監督、フォーク・クルセダ−ズ、加藤和彦に乾杯!