まるで主役としてのオーラを発さない。
その後姿がまさに京都三条にある六曜社という喫茶店のマスターであるオクノ修を感じさせた。
マスターは常に、控えめで、目立たず、コーヒーを注ぐ。
けしてお客の邪魔はしない。
だから喫茶店って好きなんです。
そんなオクノ修さんは、ごく自然に僕の目の前に座っていた。
ふと後方に目をやると、なんとそこに豊田道倫さんもお客として来ていた。
やっぱりこの人も、日常が心底好きなんだなぁと思った。
豊田さんの唄は、ちょうどあぶらがのった年頃の日常だ。
オクノさんの唄は、けしてぎらつかない、ごくごく自然な日常だ。
照明がおち、腰低くステージに上がるオクノさん。
そして僕は驚いた、
唄い出しのあの変化の無さに。
ふつう唄い出し、第一声めで会場の空気感に多少の変化が起こるはずだ。
それがまったく無かった。
あたかも、もうすでに唄っていたかのような‥。
まえもって声がわかっていたかのような‥。
唄い出しを聴き逃してしまったかと思うほど、不思議なくらい自然な唄い出しだった。
唄を聴くと僕はすぐに眠たくなって、曲が終わると
目が覚めた。
僕はそれの繰り返しで、最後までいってしまった。
なんか夢の中で、唄が聴こえてくるようだった。
帰り道、僕は電車に揺られながら、うとうとと‥
まるで風呂に浸かって、仕事疲れをとったかのような感覚で、また眠りについたのでした。