これまで僕は演劇や演劇音楽そのもの存在を気にも留めておらず、
「青少年のための無人島入門」台本資料の文字お越しという作業に、
ただ黙々と文字を打ち込み没頭していた。
そのうち自然と台本が脳に入り込み、いつの間にか僕は、この見たことも無い演劇に感動していました。
無人島とはいったい何なのか。
人は皆、無人島を夢見ていると同時に愛を求めていたりもする。
心はいつも無人島であり、百万人の無人島の中で生きている。
文明の便利さに身をゆだね、街を満たす文明的装飾が華やかな百鬼夜行に見えてくる。
言葉はただの言葉だ。
僕は台本の内容に、その都度うなずき感動した。
でも、こういった感動は、説明しようとして口に出したとたんに魂を失ってしまいます。
無言で本人が感じ取った感動こそ純潔な感動です。
是非、自分の耳で目で魂で感じ取っていただきたいと思います。
演劇の奥深さが、可能な限り濃縮された貴重な資料的作品 J.A.シーザー/天井棧敷音楽作品集(限定盤)
収録内容は以下
disc1:J・A・シーザーリサイタル〜 第1部
disc2:J・A・シーザーリサイタル〜第2部
disc3:青少年のための無人島入門
disc4:走れメロス+恐怖の音楽
disc5:こども狩り
貴重な台本、絵、写真を収録した豪華ブックレットも付いた歴史的な作品です。
それぞれのディスクに人生を感じ、個々の無数の感動に出会えることだと思います。
まるで主役としてのオーラを発さない。
その後姿がまさに京都三条にある六曜社という喫茶店のマスターであるオクノ修を感じさせた。
マスターは常に、控えめで、目立たず、コーヒーを注ぐ。
けしてお客の邪魔はしない。
だから喫茶店って好きなんです。
そんなオクノ修さんは、ごく自然に僕の目の前に座っていた。
ふと後方に目をやると、なんとそこに豊田道倫さんもお客として来ていた。
やっぱりこの人も、日常が心底好きなんだなぁと思った。
豊田さんの唄は、ちょうどあぶらがのった年頃の日常だ。
オクノさんの唄は、けしてぎらつかない、ごくごく自然な日常だ。
照明がおち、腰低くステージに上がるオクノさん。
そして僕は驚いた、
唄い出しのあの変化の無さに。
ふつう唄い出し、第一声めで会場の空気感に多少の変化が起こるはずだ。
それがまったく無かった。
あたかも、もうすでに唄っていたかのような‥。
まえもって声がわかっていたかのような‥。
唄い出しを聴き逃してしまったかと思うほど、不思議なくらい自然な唄い出しだった。
唄を聴くと僕はすぐに眠たくなって、曲が終わると
目が覚めた。
僕はそれの繰り返しで、最後までいってしまった。
なんか夢の中で、唄が聴こえてくるようだった。
帰り道、僕は電車に揺られながら、うとうとと‥
まるで風呂に浸かって、仕事疲れをとったかのような感覚で、また眠りについたのでした。