クラシック無頼伝 〜アレグロな俺〜

クラシック音楽についてアレグロに語ります。

無明の空

2008-09-01

9789.jpg  コンバンワ、アレグロな俺です。近頃は背中まである長い髪の女性を見ると、胸がウウゥゥ、アンッってなります。

 改めましてこんばんは。スイートーピーの妖精、アレグロな俺です。

 時々思うことなんだけど、愚痴という運動があまり好きではない。だって愚痴っていうのは自分がストレスを感じる環境を自分の力で変えられないことを大声で宣言しているようなものだから。それではどれだけ経っても光は射さない。
 やるべきことをやれば、言っても仕方のないことを言わなくなり、自然と口をついて出る言葉は世界を照らす小さな明りのひとつになる。

 アレグロな俺は好きだと思える何人かの女性にいくつになっても関わっていたい。僕の好意が相手にとって嫌悪に変わるような状況に突入したくない。それはセックス・アピールがセクハラに変わるような状況だ。
 だから日々研究する。仮説を立て、経験を紡ぎ合わせた編み目から美しく力強い模様を発見する。そしてまた仮説を立てる。耳を澄ませ小さな声を聞く。

 これから肉体は老いていく。失われていく部分は他のもので補わなければならない。維持、継続、というものには変化を必要とする。変化は大きなエネルギーを必要とする。
 
 少し前、定期券に書いてあった年齢を見たら、アレグロな俺はもう20代ではなかった。

 だけれどまだ、なんとか、アレグロな俺には明るい空が見える。


♪パラシューター/folder  無明の空/Kenichi Hasegawa





 そういえば、アレグロな俺は"弱音"は嫌いではない。弱音という容れ物はユーモアを含ませることのできる隙間を持っているから。
 
 お…お、俺、やがて禿げてしまって、すれ違った女性高生に『かわいそうに…』とか『残念な頭だ…』とか言われたくないよ…。

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何をしたかっていうと

2008-08-27

9772.jpg  こんばんは、アレグロなオレです。お盆に田舎に帰っていました。何をしたかって言うと朝夕の散歩くらいしかしていない気がする。でも印象深かったことがある。昔の自分の部屋で寝転んでテレビを見ていて思ったことだ。

 オリンピック中継も終わった深夜にフィリピン・レイテ島での敗戦のドキュメントが始まった。最初はぼんやり見ていて夜だし怖いなぁとか思っていたのだけれど、いつしか息をつめながら最後まで見てしまった。
 太平洋戦争を詳しく知ろうとしなかった僕が今語れるのは少ないことしかない。アレグロな俺が自分の身近なものとして感じることができたのは"慣れる"ということについてだ。
 80歳を超えた帰還兵は、人が千切れ、腐るような悲惨な状況にもあの当時は慣れてしまっていましたと言っていた。

 人は慣れる。どのような生き辛さにも慣れていける。それは僕はとてもありがたいことだと思う。しかしその恩恵を受けるにあたって必ず必要なことがあると不肖アレグロな俺は思う。

 それは記憶を呼び覚ますことだ。アレグロな俺は自分が他人をひどく損なってしまった時のことや、自分があまりにも傷つきやすかった時間のことを時々思い出す。
 そうすることで忘れてしまいたくないことを引き寄せる。引き寄せる為のロープにはだいたいにおいて棘があるけど。


 痛いけど。


 尊厳というお芋がついてくるから引っ張るんだ。


♪TCHAIKOVSKY:SYM5/CELIBIDACHE LPO

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自由について今の時点で考えていること

2008-08-10

9700.jpg  あ、ドウモ、アレグロな俺です。つい最近女子高生と一緒に誰かの死体を隠す旅にでる夢を見みました。

 さておき。


 結局のところ、個人の人間活動を行う日々の動機というものは、いかに自由になるか、ということに帰結するのではないかと思う。自身の枠組から、曖昧さから、脆弱さから、欲望から、悩み事から、偏頭痛から、太陽光線から。

 アレグロな俺は自由でいたい。不自由さの壁にぬくぬくと守られた安寧はもう充分に味わった。

 存在には責任が伴う。草原を歩けば小虫を踏み潰し、草をしおれさせる。どんな小さな表現にも反応が伴う。そこには責任が生じる。僕はその表現が自身が世界に存在するために必要だと認めたのなら、小虫の命を絶っていることを分かりながら、反省せずに草原を歩きたいと思う。

 自由を獲得する為には自分を許してやらなければならない。それにはおそらく長い歳月を要する。それから他者に、世界に自分の全存在を納得させることで、自由の赤血球が愛の酸素を全身にめぐらせ始める。

 頭痛が消える。眠っていた体の隅々までが活性化する。


 『理解』という奇蹟的な瞬間に思いを馳せはするが、個人と個人の関係において、個人と世界というある意味では個人的な関係において、相手を納得させるということは最も大切なことだとアレグロな俺は思っている。
 
 だからアレグロな俺は表現することに注意深くなりながらも、怠らないではいようと思う。自分の好きなものを愛そうと思う。自分の好きなものに自分のことを愛されようと思う。愛するものが存在することの痛みに倦んでいたのなら、自分が全世界となってそのものを許してやりたいと思う。


 この日記を書く前に干したシャツがもうカラリと乾いていた。ほんの数分で洗濯物の水分は蒸発していた。
 アレグロなオレは思う。自分が悪いと思う必要なんてない、反省だって必要ない。

 そのものが後悔しないように活動しているのなら。

 裁きの場に立たされたとしても、泣いて許しを請わないのなら。


 アレグロなオレはそのようなしかるべき経緯で辿り着いた自由を尊重する。だけれどその土俵で相容れないものだったのならば、ある種の敬意をもった上で、命さえかけて断固抹殺しなけらばならないと思う。



♪A LA SCALA/MARIA CALLAS

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少女達への捧げもの

2008-07-22

9606.jpg  帰り道にね、とても神秘的な猫がおり、アレグロなオレは3日に一度くらいその猫と会う。名前は与三郎という。
 与三郎とアレグロなオレのコミュニケーションは一定の距離をおいて嗜まれており、基本的に無言で通り過ぎるだけなのだけど、時々はお互いに身体を触れ合わせたりすることもある。

 ドモ、こんばんは。節操のないオレです。

 昨日はそんな時々の一日で、僕もそんな気分だったし与三郎もそんな気分だったのだろうと思う。15分くらい地面に座って与三郎の尻尾を触ったりしていた。なんというかそれはとても嬉しい時間だったんだ。他人と関わる醍醐味というか。

 まぁ与三郎は駄菓子やの飼い猫なので(2年前で野良として流れついて拾われたことは調査済みだ)、しばらくすると70は過ぎたおばあちゃんが迎えに来た。
 僕は『コンバンワ、今日は与三郎に遊んでもらいました』とだけ言って一礼をして去ろうとしたところで、与三郎がタイミングよく鳴いてしまった。その鳴きにより『まぁ、お兄ちゃんが帰るの寂しいんだって言ってるよ』という発言が生まれ、アレグロな俺は齢70の女子のお話相手を務めざるをえなくなった。

 しょうがないので、与三郎がどんなに素敵な猫かという話をしたのだけれど、それによって女子のボルテージは高まった。やめとけばいいのに、サービス精神旺盛なアレグロな俺は物語を使い、与三郎の特別さがどのような文脈から紡ぎだされているのかを重厚に語り始めていた。

 数分後、女子は駆け足で店に走り、山ほどの商売品(駄菓子)を抱えて戻ってきて『これ、あげる、食べな』とアレグロな俺に渡してくれた。その菓子の中には森永ハイチュウが最も多く含まれていたのだが、アレグロな俺は気付かない振りをした。
 女子が『与三郎がかわいくて毎朝いっつもチュウしちゃうの』と畳み込んできたことにもアレグロな俺は無関心を押し通した。その後、女子の夫の浮気癖のひどさを過去にさかのぼって聞くことになり、『自分が浮気するもんだから、アタシがちょっと他の男と話してるとすぐヤキモチ焼いて怒ってさ。どうしようもない男よ』という話まで辿り着いたのだが、その時ふと気付いたのは、女子がアレグロな俺に対して"男"というものを無意識に感じているのではないのだろうかという懸念だった。


 現在の職場にて、アレグロな俺のセクハラは随分とエスカレートしてきているという声も聞くが、煙草屋のおばあちゃんしかり、タイヤキ屋のおばちゃんしかり、70歳の女子しかり、実は私生活において性の慰みものとして身をついばまれているのはアレグロな俺の方だったりする。



♪ BRAHMS:INTERMAZZOS/IKUYO NAKAMICHI

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宿命的に好きな顔

2008-07-14

9572.jpg  こんばんは、アレグロな俺です。今日は嬉しいことをメモしておくために書きます。
 えっとですね、今まで好きな女性芸能人は? って聞かれた時にこの人っていうのがいなくて、その時々で違ったりしたんだけど、今日から僕は『好きな女性芸能人は?』って聞かれたときにこの人って答えます。

 なんていうかこの人の顔が大好きです。僕は二人組でデビューしたこの人を相当前から好きだったんだけど、いまいち人気がなくて、当時からこの人の顔が好きだって言っても知ってる人がほとんどいなくて、知ってても『マイナーすぎ』とか言われたので、伝わらないからいつしか名前を出すことをしなくなったんだ。テレビで見ることも全くなくなった。

 でもね、今日録画してた映画を観てて、この主演の人の顔がすごく好みだな、新人かなとか思ってて、見終わった後にエンドロールを見ても知らない名前で、誰だろうと思ってネットで検索したら芸名を少し変えていたあの人でした。

 僕はすごく嬉しい。すごくすごく嬉しい。この人の顔が大好き。

 はー、大人になったんだ、でも面影残ってる、とか親戚のおじさん的な喜びにもちょっと似てる気がする。


 知ってるひといるかな。敢えて名前書かないけど。


♪Schubert:Lieder/Schwarzkopf E.Fischer

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今思っているようなこと

2008-06-23

9466.jpg
 ずっと変わらないものはあるだろうか。

 無い、というのが通説だ。これは痛切な真実だ、というつもりは全くなくてずっと変わらない為にこそ変化が必要なんだろう、とアレグロな俺は思っている。真実はだいたいにおいて痛切なものだ、という真実だって通説だ。

 さて(コホン)。

 改めましてコンバンワ。最近少しだけ英語に触れ合う機会がある。といってもたいしたものではなく、必要に駆られて必要な単語だけは覚えてきた。
 そんな生活のなかで、ふと若い頃の話を思い出した。中学のとき、続・基礎英語というNHKラジオ番組を聴いていた。聴きながらアレグロな俺は『俗・基礎英語』という番組を考えていた。

先生:"Hi! You can give it to me(こんにちは、やらせてくれませんか?).Repeat after of me."

生徒 :"Hi! You can give it to me."

先生:"You! Kick ass!(おまえ最高だぜ!) "

生徒:"Dick man!(チ○ポ野郎め!)"

そんな俗語を学ぶラジオ番組、俗・基礎英語。



さておき。

 ずっと変わらないものはあるだろうか。ということについて考えてみる。僕には今のところある。それは僕が3歳の時にあの人と約束したことだ。
  
 大切なものがある。それを消し去らず、ずっと守るためには変化が必ず必要になってくる。継続という困難を、継続するため訪れる困難を、その都度その都度乗り切るための為の変化だ。
 例えばシェイクスピアの戯曲がある。しかし当時の方法論で現代に同じように舞台を再現してはきっと今の人々には届きにくいだろう。そこには、今生きている人々の為に、という演出家がないがしろにしてはいけない約束がある。
 シェイクスピアの戯曲は良い物だった。だからその時その時に生きた人々がその時その時で変化させ、今の人々にまで消さずに届けられている。そこには希望が含まれていた。時間が消し去ることのできない種類の希望が含まれていた、とアレグロな俺は思う。だからたゆまぬ工夫と訓練が支払われ、変化し今にまで生きている。

 良いものはそう簡単にはなくならない。それを消し去ろうとする力に、それを残そうとする力が勝り続けるからだ。だから僕はそんな世界を肯定する。そんな風だから世界はやっぱり美しいと思える。"You! Kick ass!(おまえ最高だぜ!) "
 
 日常生活に話を移してみる。
 恋人関係というものは飽きやすいし、飽きられやすい。言うなれば恋人は毎日テレビで見ている主演女優であるとも言える。露出の多い主演女優を日常生活で目にしない日はない。
 だから飽きられない為に様々な変化を必要とする。その点脇役は違う。脇役はむしろ同じ風体や佇まいでいた方が安心感を与えるし、変わらないということに魅力がある。
 ずっと相手にとって主役でいるためには、間違いなく舞台裏での研鑽が必要になる。
 そして変化を伴い、断絶されずに継続された二人はいつしか惑星同士のように互いの引力で引き合うようになるじゃないかな、と思う。


 変化。変わらないもの。変わらないために必要な変化。変えられないもの。変えたくないもの。ひとつの道の先に辿り着く為には変化に寛容でなくてはならないし、変化に頑なでなくてはならないともアレグロな俺は思う。Dick man!(チ○ポ野郎め!)。
 はい、すいません、Dick manな俺です。でもこんな与太話をしながらも、僕は僕のなかで変わらないもののことをけっこう愛おしく思っている。それを肯定してやろうと思ってこのような駄文を続けている。


 僕が物心ついたときにした約束のことを時々考える。最近はそのことを考えることが少し増えた。

 その約束とは、自身の人間活動によって、まずは生きている間に生きていることの苦しさから開放されてみよう。
 というようなことに似ている。3歳児がそんなことを思うはずがないが、あの時の思いはそういう意味を持っていたんだな、と今思う。
 変化をさせることで消し去らせずに守ってきた僕の根本は言葉にすればそのようなものだと思う。

 あれ? でも本当はどういう約束だったっけな、とも今思っている。

 

 
WAGNER:LOHENGRIN/JOCHUM BAYERISCHEN RUNDFUNKS

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メダル

2008-06-10

9398.jpg  この前、ふと昔の知人のお家に遊びに行ってきた。その人は60歳前のおばちゃんなので孫がいる。女のコがふたり。6歳と4歳(くらいかな)。
 アレグロな俺は帰り際に4歳の女のコの方からかわいく折りたたまれた手紙をもらった。帰ってから開けてと言う。
 何かしらかわいいことが書いてあるんだろうな、『アレグロおにいちゃんダイスキ!』とか『アレグロおにいちゃんのお嫁さんにシテクダサイ!』とか書かれてあるんだろうな、などと思い、フッとか思いながら帰りの電車でそれを開封した。


 『アレグロへ(名前呼び捨てだ)。とおいところからよくきた』


そう書かれてあった。それだけが書かれていた。


 ドラゴンクエストというゲームで、朝起きたら母親が『お城に行く日よ』とかいうシーンがあった。そしてお城に行くと王様が、

 『アレグロよ、よく来た』
 
 って言ったように記憶しているんだけど、僕はその小さな女のコの手紙からそのような感覚を受け取った。
 彼女の上下意識の中では、僕はかなり下に位置していることを思い知らされたんだ。





 さておき。アムステルダムからこんばんは。最近『カラマーゾフの兄弟』に4度目のチャレンジをしている俺です。読了を目指し、3度敗れた俺ではありますが、今回はおそらく最後まで辿り着けそうです。だけれど相変わらず訳された文学を読むのは非常に苦手です。

 小説を読んでいて思ったので、謙虚さについて書いてみる。謙虚とはひとつには自分の力を顕示したりしないことだと思う。自分の力を確かめる必要がないから顕示も必要としない。それは他者に期待や依存をせずとも穏やかでいられるということでもある、と思う。言葉を変えて言えば、寂しがりやではないということだ。

 武者修行がそれによく似ている。自分が身につけた力を確かめる為、試す為に様々な武芸者と手合わせをして旅をする。他人の物差しで自分を測り続けた武芸者は最終的にはどのような心境になるのか。

 想像ではあるけれど、自分の無力さを知ることは、同時に自分の有力さを知ることでもあるんだと思う。どんな小さなことでも表現するとは世界を変化させるこということだ。そう思ったら大体の人は謙虚になる。そういう心境になれば、取りまく世界に自分の気持ちを惑わされない。自分以外の存在に平静さを奪われ、捉われたりもしなくなる。


 そこから始まる事象が他者との関係の醍醐味だとアレグロな俺は思う。



 『上島竜兵、45歳。代表作これといってなし』




 なんて素敵な文体なんだろう。





♪Schubert:Pf Sonata No.21/Geza Anda

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蜜の味

2008-06-07

9392.jpg  どうも、こんにちは。ニトラーです。小さなレコード棚を買うつもりでニトリに行ったら相変わらず錯乱し、2時間の忘我の後に買い物カゴがもっさり膨らんでいました。洗剤がなくてもお風呂掃除ができるスポンジだとかさ…そんなヤツをさ…。
 
 さて。最近は捉われてバランスを崩している。日々の自由時間をかなりの比率でレコードに費やしている。聴く時間だけでなく、イーベイやヤフーオークション、盤面磨き、初期盤の美しいラベル鑑賞(これはウソ)、それらの行動にほとんどの時間を費やしてしまっている。
 アレグロな俺は最近のそんな自分の行動を自戒を込めて『レコーディング』と呼んでいる。
 いい加減レコーディングにばかり固執してはいけないなと思い、このように久しぶりに日記を書いているわけではある。


 言い訳をしよう。クラシック・レコードがなぜ、アレグロな俺を強烈に捉えたか。

 それはレコードには使用価値と交換価値の両方が含まれているからだ。しかも片方がおまけ的ではなく、どちらか一方の価値だけでも受け手に充足を与えることができるからだ。

 これは恐ろしく危険な蜜だ。深遠なる自身の価値観を見失わせるだけの、力を秘めている。
 誰もがうらやむ美しい女と、自分の為に全てを捧げてくれるやさしい女。その両方を併せ持つ存在が側にいたとして、男はそれでも浪漫を求めるだろうか。砂漠を越えて海原に出たいと思うだろうか。
 自分だけが知っている美しい草原に思いを馳せることができるだろうか。

 というわけで、アレグロな俺はここしばらくは自分を見失っていたわけである。


 これからどうなるかはわからない。
 

 アレグロな俺のなかの何かが信号を送っているのも確かではある。
 

♪WAGNER:DER FLIEGENDE HOLLANDER/BOHM BAYREUTH 1971

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ネクストレベルへ行け。

2008-05-28

9338.jpg  兎角もまぁ、生命活動をしているとストレスというものが溜まる。昔に比べれば比較的上手に昇華させてやることも出来るようになったとは思うし、昔に比べればその過程で他人に迷惑をかけることも減ったとは思う。
 物々交換がうまくいけばストレスや摩擦は溜まりにくい。

 アレグロな俺がストレスを感じる時っていうのはけっこう同じだ。ちゃんと決まっているように思う。僕はだいたいにおいて、やるべきことをやっていない時にストレスが溜まる。調整不足からやるべきことをやれないコンディションに陥ってしまったり、ペース配分を間違えたり、時間を上手に捻出できなかった時、やるべきことができない。

 ストレスが生じる。己の責任を取らざるをえない。


 継続されるリズムがとても必要なんだ。

 そのような原動力で成されたものに時々触れ合う機会がある。頭が下がる。その水面下で成された抑制に対して胸がじんとなる。


 君はやるべきことをやっているか?

 自分の弱点から目を反らすな。 その弱さを強さに変えろ。生まれつきではない、第二の天性を自分で身につけるんだ。1対1の勝負を常に意識しているか? 燃えたぎる情熱があるか? 自分を冷静にコントロールできるか? 下を向いた仲間を励ますハートがあるか? 練習がない日も練習しているか? 失敗を人のせいにしていないか? 次の局面をイメージしているか? いつも自分の限界を超えているか? 今のレベルでもう満足か? 



 君はどれだけ本気でフットボーラーになりたいと思っているんだ?


 ネクストレベルへ行け。
 

♪MENDELSSOHN:VN CON/HEIFETZ MUNCH BSO



 あ、改めましてコンバンワ、エアコンのドライが好きな俺です。今日、仕事中に雀を掌にのせました。嬉しくて嬉しくて仕事をする気が全くありませんでした。その素晴らしい体験談はまた後日。

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何が残るのだろうか

2008-05-22

9301.jpg  コンバンワ、アレグロな俺です。今日は帰り道にお腹が空いていたので、MATsUYAの門をくぐってみました。まぁ松屋です。昔行った時は思わなかったんだけど、『ぶた飯』ってすごいよね。何がすごいかって名前がすごい。ブタ飯…。

 『お待たせいたしましたっ。ブタ野郎のお客様にぴったりのブタ飯でございますっ。手を使わずに顔を擦り付けながらお召し上がりくださいませっ』。
 みたいな意味が込められているのだろうか…。 



 改めましてコンバンワ、ブタ野郎です。

 人間活動の外側を剥いて剥いて剥いて剥いてみると、何が残るだろうか? ひとつの真理のようなもの、として耳にするのが感謝の念、というものだ。確かにアレグロな俺自身もそうかもしれないな、とその桃の種のような真実を想像させられた瞬間はある。

 感謝の念は何に対して発せられるのだろうか。


 誰かが誰かを何かが誰かを誰かが何かを何かが何かを勇気づけながら世界は動いていると僕は信じている。なんというか、日々様々なものたちに勇気づけられていなければ、一日たりとも生きてなんかいられない。

 雨は干からびかけたカエルを勇気付けるし、カエルはピアノが上手く弾けなくて悲しんでいる少女を勇気付ける、涙をこらえて鍵盤を叩く拙い旋律は通りすがりの紳士に幼き日への憧憬を浮かび上がらせる。勇気付けられた紳士は100万人の気持ちを揺り動かす小説を書き上げたりするかもしれない。

 じゃあ何が他人を生かすのだろう。世界の何が自分を生かすのだろう。

 それはやっぱり誰かや何かの一生懸命さだったりするんだ。目的は何だっていい、生命活動に力を尽くしている存在は例外なく美しい。善悪の概念だって、その一面においては問題ではない。
 誰かのひたむきさは誰かを勇気付ける。それに触れると応援したくなる。


 感謝の念はエールに対して発せられる、というのが今のアレグロな俺の見解ではある。
 そして100年くらいかけて戻ってくるエール交換をしたいナ、エヘヘ。というのがアレグロな俺の密かな企みではある。



♪BRAHMS:SYM1/BARBIROLLI VPO

Posted by hituji at 01:35:18Comments(0)TrackBack(0) │その他
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